「好きだ」
まさか自分の口から、こんなセリフが出るなんて思わなかった。
これを聞かされた人物も、思いもよらなかったみたいで、キョトンとした顔付きで俺を見つめている。
だから、もう一度だけ口に出してみた。
「お前の事が好きだ」
…今度は、俯いてしまった。
ガラではないが、逃げ出したい気分になって来た。
ここは男子テニス部の部室。
今日は生徒会の会議で部活に遅れてしまった。
急いで着替えていると、同じ様に図書委員で遅れて来た越前リョーマとばったり会ってしまった。
実は俺は…手塚国光は、この越前リョーマに恋愛感情なるものを抱いてしまったのだ。
その事は、しばらくの間は気の迷いだと思っていた。
いや、思い込んでいた。
『ねぇ、気付いてる?』
それは数日前の部活の時間、俺はいつもの様に練習に励んでいた。
その時、不意に不二から言われたのが先程のセリフだ。
他人が気付いてしまうほど、俺は越前リョーマの姿を追っていたようだ。
『俺が…?』
『気付いてなかったみたいだね』
君って意外とわかりやすいね。と言われた時には、マズイと感じたものだ。
不二が気付くという事は、データ収集が趣味の乾にも感付かれているだろう。
俺とした事が油断してしまったようだ。
そんな事もあり、俺は自分の想いを伝えたのだ。
しかし、この状況には非常に困った。
想いを告白した相手は、俯いたきり動かない。
「越前?」
これ以上は、俺の心臓が持たないと名前を呼んでみた。
「…俺でいいんスか?」
俯いたまま、越前はボソリと呟いた。
その言葉の意味が良く理解出来なかった俺は、即座に返事を返せなかった。
「だから、俺でいいんですか?」
急に顔を上げた越前は、頬を真っ赤に染めていた。
こんな表情もするんだな…可愛らしい。
俺はその顔に見惚れてしまった。
しかし、その前にしなくてはいけない事がある。
「もちろんだ。お前も俺でいいのか」
それは、返事だ。ついでに越前にも確認をする。
これが冗談などと思われてはいけない。
いや、それよりも「変態?」「ホモ?」などと思われてはいけない。
「お…俺も、前から部長の事が、き…気になってて…」
しどろもどろの越前の返事は、喜ばしいものだった。
頬の赤みは、顔全体にまで広がっていた。
照れながらそんな事を言う越前を、愛しいと思う気持ちがどんどんと膨らむ。
どうやら、俺は既に末期状態のようだ。
「越前…いや、リョーマ」
呼び方を名字から名前にするだけで、越前は花が咲くような笑顔で俺を見つめた。
「えっと…くにみつ?」
少しだけ考えて、俺の名前を呼ぶ。
それだけで自分の名前が神聖なものに感じてしまうから不思議だ。
「リョーマ」
「国光」
今度ははっきりと俺の名前を言ってくれた。
嬉しさで心臓が破裂しそうだ。
きっと、これが『好き』だという気持ちなのだろう。
「おーい、手塚、越前?」
しばらく見つめ合っていた俺達は、大石の呼ぶ声でようやく部室から出た。
コートへ向う最中、越前は俺にこんな事を言って来た。
「国光、今日は一緒に帰ろ」
少し上目遣いで俺に帰りを共にしようと言う。
この可愛らしさは、既に罪だと思う。
「あぁ」
俺は越前に肯定の返事をした。
「…何か嬉しいかも…」
それだけを言うと、越前はコートに走って行った。
俺の方が何倍も嬉しい思いで一杯だ。
嬉しい、嬉しい。
まさか部長から告白されるなんて。
嬉しすぎて、どうにかなっちゃいそう。
「どうかしたの、越前?」
コートに入るなり、不二先輩に捕まってしまった。
やだな…この先輩はテニス部一番の曲者だからな。
「何でもないっスよ」
平静を装いながら答えたつもりだったが、この曲者は勘が鋭くて困る。
「…何かイイコトあったのかい?」
ほら、こうして何でも自分は知ってるんだよ、て顔してるから嫌なんだ。
「ありましたよ、イイコトが…でも内緒っス」
あまり長くなるとボロが出そうだから、説明はナシで答えてやった。
「ふ〜ん…そうなんだ」
関わらない方が自分の為だ。
不二先輩から離れ、スタスタと練習の為に自分に宛がわれたコートに入った。
「さて、今日はネットプレーの練習だ」
乾先輩から今日のオーダーを聞く。
俺の相手は、菊丸先輩だった。
「よーし、おチビやるぞー」
ネットを挟んだ反対側には、既に菊丸先輩がボールを持って構えていた。
今日は、何だか楽しい気分でやれそうだ。
「よし、今日はここまでだ」
竜崎の声で部活は終了した。
「1年生はボールの片付けとコートの整備だ」
リョーマもレギュラーだが、1年生なのでコートの整備に入った。
ボールは他の1年が片付けているし、整備にもいつもの3人組が加わっているので、それほど時間もかからずに終える事が出来た。
「は〜疲れたな〜」
3人組と一緒に部室に入る。
ほとんどの部員は既に着替えを終えて帰っていた。
残っていたのは、大石、不二、菊丸、そして部長の手塚だけだった。
「ご苦労だったな」
大石は1年生に労いの言葉を掛ける。
こんな所が、陰で『お母さん』と呼ばれる由縁なのか。
「大石、俺はこれを先生に届けて帰るから、鍵をくれないか」
これとは部誌の事。部長であるゆえにしっかりとしなければいけない。
「そうか?まぁ明日は土曜日だし…ならよろしく頼むな」
大石は部室の鍵を手塚に渡すと、不二と菊丸と共に部室から出て行った。
「おっつかれさま〜」
「それじゃ、また明日。お疲れ様」
その時、手塚に向けられた不二の笑顔は「良く言えたね」と喜んでいたように見えた。
「さぁて、俺達も帰ろうぜ。なっ、越前」
堀尾は着替えが終わると、普段は言わないリョーマにまで誘いを掛けた。
「…俺はいいよ」
即座にお断りの返事を堀尾に返す。
「ちぇー、付き合いの悪い奴だな〜」
そう言うと、残りの2人と部室を出て行った
これでようやく、手塚とリョーマの2人だけになった。
「…まだ、終わらない?」
リョーマはトコトコと手塚の側に寄ると、手元の部誌を覗き込んだ。
「あれ?」
おかしいと部誌をもう一度覗き込む。
部誌はもう完璧とばかりに書き込まれていて、既に提出できる状態だ。
「一緒に帰るんだろう?」
手塚は部誌をパタンと閉じると「少し待っていろ」と告げて部室を出て行った。
自分と一緒に帰る為に大石達に嘘をついた手塚に、またしても嬉しい気持ちが湧き上がって来た。
「これって、やっぱり好きって事なんだよね」
部室のベンチに腰掛けたリョーマは、天井に向かいポツリと呟いた。
その顔は喜びに満ちていた。
「待たせたな」
数分後、手塚は部室に戻って来た。
少しだけ肩が揺れているところを見ると、どうやら走ってきたようだ。
そんな所にもリョーマを想う手塚の心遣いが見える。
「ううん、じゃ帰ろ」
自分のバッグを肩に担ぐとドアに手を掛けた。
しかし、そのドアを開ける事は出来なかった。
「リョーマ、少しいいか?」
手塚はリョーマを引き止めて、ベンチに座るように促した。
何だろう?と思ったが、手塚に従いベンチにちょこんと腰掛ける。
「で、何?」
リョーマは手塚の顔を覗き込む。
「…お前は本当にいいのか?俺は男だし、もちろんお前も男だ」
手塚の言いたい事が解ったのか、リョーマは自分の想いを告白した。
「俺は人としての手塚国光が好きなんです。男とか女とかなんて関係ありません」
リョーマの言葉には嘘は無い。真剣な眼差しが手塚に訴えている。
手塚は意を決してリョーマを自分に引き寄せると、その顔を上に向かせた。
そしてそのまま、想い人の唇に自分の唇を重ねた。
それは本当に僅かな時間だったが、手塚には永遠のような時間に思えた。
「だがな、俺はこういう意味でお前が好きなんだ」
唇を離すと「悪かった…」と呟いて目をそらす。
リョーマからは拒絶の言葉も何も無い。
ちらりとリョーマの顔を見ると、真っ赤になって指で自分の唇を触れている。
「…国光」
その目元は少しだけ潤んで赤くなっていた。
「軽蔑したか?済まなかったな」
手塚はリョーマにもう一度謝罪した。
「ううん、違うよ」
リョーマはふるふると首を横に振ると、手塚の胸元に抱き付いた。
これには、流石の手塚も驚きを隠せない。
「すごく…嬉しかった…」
リョーマは恥ずかしそうに先程のキスの感想を告げ、そして次の言葉は、手塚を喜ばせるのには充分過ぎるほどだった。
「ね…もう1回して…」
さっきのは一瞬過ぎて解らなかったから。
「…いいのか?自惚れても」
手塚はリョーマの肩を優しく抱くと、その顔を上げさせた。
その顔は嬉しさと恥ずかしさで、やはり赤くなっていた。
「いいよ、自惚れたって、俺は国光が好き…」
リョーマはゆっくりと瞼を閉じた。
「リョーマ…」
名前を呼ぶと、そのまま唇を重ねた。
それは先程のバードキスの様な軽いものではなかった。
何度も角度を変えて、思う存分リョーマの唇を味わう。
唇を離した後のリョーマは、うっとりとした表情で見つめていた。
手塚はその表情を楽しむかの様に、優しく抱き締めた。
そんな手塚が愛しいと、リョーマもそっと背中に腕をまわした。
そのまま2人は、部室内で1時間ほど過ごしてしまった。
外がほんのりと赤くなってきたのに気付くと、慌てて鍵を掛けて家に帰る。
もちろん、手塚はしっかりリョーマを家に送って行ったのだった。
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